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柚子の闘病日記・no25


5月3日日曜日
 昨晩も良く眠った。
3回目の散歩でもウンチをした。おやつも食べた。でもガムは途中で止めてしまった。

鼻粘液は変わらず出ている。お水を飲むとたくさん出る。
ティッシュをこよりにして回して綿飴のように取る。
一日中それは、何回もする。
この間は、散歩中、その様子を指摘された。
まさか癌を患い、それによってのことと相手は考えもしていないだろう。
その立場に立ってみないと、本当に物事はわからないことだらけだと思う。

だからこそ、相手がどんなところに立っているのか気を遣いながら関わらないといけないと思う。
些細なことも、時には、とても相手を傷つけていることがあるかもしれないない…。

連休に突入した。にもかかわらず昨日 gre は仕事だった。
指折り数えてその日、お休みであろうと思っているうちのコ達は、相当な落胆だったと思う。

だからせめて私が散歩する時はと、夕方は、いつも行くコースではない道を選んで行った。
出がけに義母とすれ違い、「バギーは持っていかないの~?」と、言われた。
大型犬一頭、小型犬二頭、しかも柚子は年中鼻汁をたらしている。
ただでさえ3頭引きがどんなにたいへんか、何年も一緒に暮らしてその場面に遭遇しているのに、理解してないらしい。
手は二本しかないから、3頭引きのおまけにバギーを引いていくなんて無理無理無理なのだ。

相手の立場に立って物事を考える。そして、発言する。学習しよう。

久しぶりの桜上水コース、やっぱり柚子ったら、とたんに元気になった。
ココは絶対歩くと、抱っこの状態で意思表示する。
もっと先にと思ったら、行きたい方向はこっちと、自ら方向を決め、そちらに向かってトコトコ。
そして走ってみせた。良く歩いた。

それだからだったのか?体力を相当使ったのだろう。
普段、玄関で足を拭く時、目がとろとろとして眠そうということはあった。
今日は、かぼすと甘夏の足を拭いている間に、いびきまでかいて玄関で寝てしまった。

その後も落ち着いていて、おかしな格好で眠るということもなかった。
シャワーを浴びることもできた。その間、ここに居てねといったマットの上にいた。

横で様子を見ていて思った。
この状態は、安定剤がようやく身体に作用してきてのことなのか?
それとも衰弱しているからなのかと…。

決して治る病気ではないので、お気楽ではいられない。
病気が判明して言われた余命は、2ヶ月だった。
高度医療センターで検査を受けた日から、すでに2ヶ月は経過した。


今日は gre がお休み。様子でわかるらしく、みんな揃って落ち着かない。
柚子ももちろんその一人で、眠気をこらえて今日のお出かけはどこかしらと、
辛そうに頭を垂れながら待っている。

このところ腫れのある右側の目が見えていないのかなと思うことがしばしばある。
正面のものが見えていない様子。
そして何日か前から、首が横に曲がり、頭が下がっていた。

今朝は忌野清志郎さんの訃報が伝えられた。
喉頭癌を、放射線治療と食事と漢方の民間治療で克服されたと聞いていた。
しかし、リンパに転移してしまい、亡くなったという。

どんな気持ちだったのだろう。
気丈に転移した時も受け止めていたというけれど…。
その時に繰り広げられるドラマ。
お目にかかったことのないスターの死だけれど、涙が止まらなくなった。

子煩悩だったという。長男さんはもう20歳になったというが、家族を大事に思う人だったならば、もっと生きたかったに違いない。お孫さんも抱きたかったと思う。
ロックという反抗的な場に、奇抜なスタイルで登場するだったけれど、家族を愛する人だった。
自分の活力はきっとソコにあること、感じて生きていた人だったのだろうと想像している。
とても魅力的な人だった。その存在がなくなってしまった。
大きな喪失感を感じた。

病気と闘う人のそばにいる家族は、辛かったろうなぁと思う。
治療している大変さを、病気の痛みを、そばで感じるのは、本当に苦しいものだもの。
そして、それが、長くは続かない命であるとわかっているということはむなしく切ないものだ。

私は昨年、母が多発性骨髄腫という病気であることを知った時、どうしたらいいのかわからなくなった。色々話を聞いた。調べた。
母の病気も癌だった。今では癌は治る病気と思っていたけれど、不治の癌だった。
進行後期の発見で、末期だった。

癌疼痛には、麻薬を使った。ソレを使うことにも驚いた。
使い始めたら、眠ってばかりいた。
データで処方された薬であったのだと思う。
でも、母には、合わなかったような気がしていた。
高齢者や、飲酒をしない人への使用は、いかがなのか?と、思った。

意識がないことが多かった。
食事もそれと同時に摂れなくなっていた。
辰巳先生の”命のスープ”を真似てせっせと作って飲ませたけれど、
「おいしい、美味しいと云って口にしてくれるのは、わずかだった。
病院食もほとんど食べなくなっていた。
そんなものだけでは、体力維持も無理だった。
気力も失せていた。
劇痩せした。

無理やりしてしまったけれど、桜満開の日の車椅子での散歩。
最後の思い出になった。

犬にもあるんだろうか?モノより思い出…。

あってくれるといいなぁ~。

母の看病は、同居する兄夫婦に遠慮もあった。
仕方ない。

その点、飼い犬は、飼い主がすべて。
もらわれてきた日からそのコの将来が決まる。
そして、人間のように、多くの人に亡くなる瞬間を悼まれるということがない。

それだけに、責任、重いよね。可愛がってあげなきゃ、かわいそう。
大事に想ってあげなきゃ、かわいそう。


  

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