HOME    茶道のお稽古   お茶   道具   菓子   着物   サイトマップ  ■ 抹茶について■


このページでは、主要な抹茶ブランドや、市場ではなかなか出会わない抹茶をご案内しています。
各ページにリンクしておりますが、
どんな茶舗なのか?どんな銘の抹茶があるのか?などもご参考になさってください。


茶道ブログ更新しています。


丸久小山園
丸久小山園は元禄年間、茶に適した宇治小倉の里で、園祖小山久次郎が茶の栽培と製造を手がけたのが始まりです。
以来、代々にわたり、宇治茶の伝統と品質の改善に努め、四代後には茶の販売も手がけるようになりました。
その後、明治に入って八代目を継いだ元次郎が全国に販路を広げました。
その「品質本位の茶づくり」は、栽培から製造まで一貫して行われ、数々の賞や栄誉をいただき、多くの人々に品質の丸久小山園と広く親しまれています。
●主な抹茶●
●裏千家今日庵家元御好抹茶●



山政小山園
文久元年(1861)徳川幕府の茶師監札制廃止に伴い、初代小山政次郎氏が茶の卸業を開始したのち明治17年ニ代小山政次郎氏が卸売業を開始。
昭和8年シカゴ万国博に出展、金牌を受領。昭和12年抹茶10匁(もんめ)缶を発売し缶詰め茶普及のきっかけをつくる。
昭和17年「オグラミドリ」・全国品評会優勝品種「アサヒ」・京都府奨励品種「サミドリ」・「コマカゲ」等の優良品種の育成に成功しその年、アメリカ・中国へ輸出を開始。
昭和38年全国茶品評会で農林大臣賞を受賞。昭和44年京都府知事表彰(京の老舗百年)。
平成6年小山洋一社長が これより5年間、京都府茶協同組合理事長を務める。
平成8年株式会社 山政小山園に社名変更。
平成10年小山洋一社長が、茶業界への業績を認められ、黄綬褒章を受章元年創業。
※山政小山園の抹茶は添加物を一切使用しておりません
●主な抹茶●
●裏千家今日庵家元御好抹茶●

辻利
江戸時代萬延元年に辻利右衛門が玉露の製法を大成したことに端を発するお茶の老舗です。
京都府綴喜郡宇治田原町。
日本でも有数の抹茶生産地としられるこの地で素材を厳選し、抹茶を追求し続けた辻利の集大成が、現在の7種のグレードの抹茶という形になりました。
抹茶を頂くという古来からの日本人の習慣を、また、お客様が来られた時に抹茶でもてなしたいという心を辻利は大切にし続けて行きたいと考えているそうです。

●渦の白● ●三の友● ●宇文字● ●豊昔● ●千代の昔● ●九重の昔● ●寿雲の昔●
の銘の抹茶をご案内しております。





上林春松本店
十三世紀の初頭、栂尾高山寺(現・京都市右京区)の僧明恵高弁によって築かれた宇治の茶園。その歴史を支えてきたのが、恵まれた自然条件、茶にかける茶師たちの情熱、そして将軍家の支援でした。
上林家は、十四世紀後半、足利三代将軍義満公が宇治七茗園と呼ばれる茶園を開き、宇治茶の名声を天下に広めた頃から将軍家の手厚い庇護を受け、有力茶師である「御茶師」として栄えました。 しかし十六世紀後半、織田信長との戦により室町幕府は滅亡。将軍家と深く関わっていた宇治茶業界も、大きなダメージを受けます。
その後、お茶を好み茶道を民衆に広めた豊臣秀吉が宇治の復興に力を注いだことによって、宇治茶業界も新たな時代に突入。豊太閤の期待に応えるため努力を続けた初代上林春松軒は、宇治橋の西一丁(現在の宇治・上林記念館)に居を構えます。
そして徳川の世、茶道はますます盛んになり、将軍家康は上林家に宇治代官、茶頭取を任命。上林家は、宇治茶の総支配を仰せつかわるまでに至るのです。

鵬雲斎好・好古の白、鵬雲斎好・華の白、坐忘斎好・双鶴の白、鵬雲斎好・祥宝、坐忘斎好・緑毛の昔、
鵬雲斎好・翔雲、利休居士400年忌・爽明の昔
などの銘の抹茶をご案内しております。


有機抹茶

農薬・化学肥料を一切使用せずに栽培した無農薬有機栽培のお抹茶を紹介しています。
葉をそのままいただく抹茶こそ、無農薬という方に。
●農薬・化学肥料を一切使しない有機栽培の健康な茶園で丹精込めて育てた国内ではめずらしい有機認定抹茶●
●石臼で丹念に挽き上げた西尾産の有機抹茶●
●有機JAS認定品・宇治産茶葉・オーサワジャパン商品の抹茶●
●オーガニック国際認定 、有機JAS認定の永田ブランド無農不使用・有機肥料栽培の抹茶●
●無施肥無農薬(むせひむのうやく)栽培の抹茶●



裏千家今日庵御好抹茶

●丸久小山園●
●山政小山園●
●上林春松本店●
●八女星野抹茶●
近藤さんの茶篩缶
必須アイテム

抹茶ふるい。




裏千家御好抹茶 いろいろ抹茶

お稽古はじめ VOL2


茶道ブログ更新しています。

茶道、和菓子、お稽古日記、お気に入り
犬のある生活を中心にした
ウェブサイトを展開しております。

 go    道具の本はこちらから