◆お稽古のお菓子◆

2013年2月23日

お雛様 ”椿餅”

2013.2.23 東宮 ”お雛様”

桃の節句は、本来旧暦の3月3日におこなわれていたそうです。
その時期のひな祭りは桃の花がまっさかり。
それで桃の節句と呼ばれるようになったといいます。
残念ながら、新暦の3月3日では桃の花は咲きません。この時期は、梅がほころび始める頃です。
桃は、桜が咲き始める頃と同じに開花するようです。

また、桃の節句は、元々「上巳(じょうし・じょうみ)の節供」といわれていたそうです。
起源は古来中国の上巳節。
上巳とは、3月上旬の巳の日という意味だそうです。

中国では、上巳(じょうし・じょうみ)の日に、川で身を清め、不浄を祓った後に宴を催す習慣があり、
これが、平安時代日本に伝わり、
宮中の「人形遊び」と結びつき「流し雛」へと発展したといわれているそうです。

上巳の祓いが伝わる以前から、
日本の貴族社会では「雛遊び(ひいなあそび)」というものがあり、
平安の中期に盛んに行われていたようです。
当時は大人の遊びでしたが、次第に子供たちの世界に広まったということです。

現在のように、段を組んだり豪華な飾りを施すようになったのは江戸時代に入ってから
。江戸時代の初期に、京都の御所で盛大な「ひなまつり」が催されて以降、
江戸の武家社会にも広まり、庶民の間にも定着していったとされているそうです。

桃の節句の上生菓子がこんな素敵な意匠であることを知って
豊かな時間が流れました。

私達がよくお稽古でいただいている世田谷千歳船橋の菓匠”東宮”さんのお品。

作品という方がふさわしい、優美な姿ではありませんか?
十二単をまとったお雛様。
薄紅あるいは薄紫の着物、
なんて雅やかなんでしょう。


黄味餡製。

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2013.2.23 東宮 ”椿餅”

椿餅(つばきもち)は、
紫式部の「源氏物語」”若菜の巻”に登場したという古い歴史を持つそうです。
記述は、「つばいもちひ」。

平安時代の菓子は唐菓子と言って中国伝来の揚菓子がほとんどでしたが、
桜餅のように団子を植物の葉で挟む形式などが珍しく、
椿餅は日本独自のもので、
桜餅や柏餅よりも早い平安時代に登場していることから、日本最古の餅菓子ともいわれているそうです。

最近のものは、俵形の道明寺餅が椿の葉に挟まれているものですが、
道明寺が普及したのは江戸時代からなので、
平安時代には、椿の葉を挟んだだけものだったかと思われます。

東宮さんの椿餅はうっすらピンクに染められていて、
まだ雪の残る2月に店頭に並ぶこのお菓子に、
春の香りや椿の美しさがイメージできました。

こし餡製。




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