◆甘夏を迎えて◆

成長の記録

2007.6.26.火曜日

本日も5時半に起こされる。キツい!

今日は、晩御飯を少し遅めにしようと思う。
4日目。怪力が増し、やたらと物を噛み、遊べ~とアピール。

でも、昨日でなんとなくわかった。
遊ぶ→疲れる→眠る→起きる→しっこ である。
ここに、ごはんが加わると、ウンチがどこかに入る。

ごはんの後も強烈に眠い。

今日は
“マーリー”を読み終えた。
最後の4章くらいは、涙が止まらなかった。


その本から、私が感動した文章を抜粋します。
(”マーリー”は世界一おばかな犬とのサブタイトルがついた、マーリーという名のラブラドールレトリーバー犬と作者の暮らした年月を綴った本です)

【サブタイトル“はじめての雪”より】

日を浴びているマーリーを眺めているうちに、黄褐色の顔にいつのまにか白髪が多くなっているのに気づいた。毛色が薄いのでめだたないけれど、それは否定のしようのない事実だった。口の周り全体と額のあたりは、クリーム色から白に変わっていた。僕らが気づかないうちに、我が家の永遠の仔犬は高齢犬の仲間入りをしていた。

だからといって行儀がよくなったわけではない。ふざけた行動はまるで変化なく、ただテンポが遅くなっただけ。あいかわらず、子供の皿から食べ物を盗む。鼻先でキッチンのごみ箱を押し開けて中身をあさる。リードは引っぱる。家中のものを手当たりしだい口に入れる。バスタブの水を飲んで口から垂らしてまわる。空が暗くなって雷鳴がとどろけばパニックになり、家に誰もいなければ破壊行動に走る。ある日部蔵が帰宅するとマーリーは興奮状態で、コナーのマットレスがぼろぼろにされてスプリングが飛び出していた。

年月を経て、僕らはそうした被害に悟りの境地で対応できるようになっていたし、フロリダを離れてからは雷雨にあう回数も少なくなっていた。犬と暮らすからには壁は壊れるし、クッションは破壊するし、敷物はぼろぼろになるものだ。どんなつきあいにも犠牲はつきものだ。僕らはその犠牲を受け入れたし、マーリーはそれに見合うだけの喜びや楽しみや保護や仲間意識を与えてくれた。マーリーにかかった費用や修理代などを総計すれば、きっとヨットを買えるくらいにはなっていただろう。けれど、ヨットを何隻持っていたところで、玄関で一日中帰りを待っていてはくれない。膝に乗ったり、一緒にそりで丘を滑ったり、顔をなめたりはしてくれない。

マーリーはすっかり家族の一員だった。ちょっと変わってはいるが愛すべき叔父さんのように、なくてはならぬ存在だった。マーリーは名犬ラッシーにも、映画で活躍したベンジーにも黄色い老犬にもなれないだろう。ウエストミンスターはおろか地元のドッグショーにも出られないだろう。それはわかっていた。僕らはありのままのマーリーを受け入れ、だからこそ彼を愛した。

「老いぼれくん」冬の終わりのその日、僕は道ばたでまーりーの首筋をなでながら呼びかけた。目的地の教会の墓地はけわしい坂道の先にあった。だが、人生を同じように大事なのは目的地に着くよりも旅そのものなのだ。僕は片膝ついて両手でマーリーのからだをなでながら「しばらく、こうしてここに座っていよう」と話しかけた。マーリーが一息ついたのを確認して、僕らは丘を下って家路についた。

【サブタイトル“老いるということ”】

老犬はいくつかの事柄を教えてくれる。いつしか時が流れて、体のあちこちが傷んでくるにつれ、命には限りがあって、それはどうしようもないことなのだと、マーリーは教えてくれた。中略:マーリーが次第に老いて、耳が遠くなり、体にがたがくるのを見るにつけ、彼の寿命に限りあるのは無視できなくなった-それは僕らとて同じなのだ。老いは生きとし生けるものすべてに忍びよってくるけれど、犬の場合は、その足取りが驚くほど急だ。十二年間という短いあいだに、元気な仔犬だったマーリーは手に負えない若者になり、そして筋骨たくましい成犬から、足腰が弱った老犬へと変化した。一年ごとに、人間でいえば約七歳ずつ年齢を重ねて、気がつけば、九〇歳に向かう坂を下っていた。

中略:二階まで階段を上がるのもむずかしくなったが、マーリーは一階でひとりで眠るのを拒み、階段のしたに寝床をしつらえてやっても納得しなかった。僕らを愛し、僕らの足元で休むのを愛し、マットレスにあごを載せて、眠っている僕らの顔に息を吹きかけるのを愛し、シャワーカーテンのすきまから顔を出して水を飲むのを愛し、けっしてそれをやめようとしなかった。毎晩、妻と僕が寝室へ引っこむとマーリーは階段の下でやきもきしていた。悲しげに鼻を鳴らし、かん高く啼き、行ったり来たりしながら、ついこのあいだまで一足飛びに駆けのぼれた階段を眺めては、勇気を試すかのように前足をかけてみる。

【サブタイトル“借り物の時間を生きて”(9.11事件の現場で)】

僕はポケットに両手を突っこんで、砂利敷きの駐車場のはじまで歩いて、しだいに濃くなる闇をじっと見つめた。そうして暗闇に立っていると、さまざまな思いが脳裏をよぎった。ひとつは、僕自身を同じアメリカ人であり、一般人である乗客たちが、みずからの死を覚悟しつつ立ち上がったときに心に抱いていたであろう、誇り。もうひとつは、僕がこうして、あの日に恐怖とは無縁に、夫として父親として物書きとして幸福な暮らしを享受して生き続けているのは、じつにありがたいことなのだという実感だった。孤独な暗闇のなかで、人生にはかぎりがあること、それゆえにとても貴重であることを僕はあらためて痛感した。あたりまえだと思っている日々の生活は、じつは壊れやすく、不安定で予測のつかないものであり、なんの予告もなく一瞬にして終わりを告げうるのだ。一日が、一時間が、そして一分が愛おしむべき価値のあるのものなのだという、自明でありながら見過ごしがちな事実を僕は思い知らされた。

僕が思ったことはそればかりではなかった。これほど圧倒的な悲劇にすっかり心を奪われているというのに、それでもまだ人間の心には、日常生活の一部分である個人的な悲しみや痛みが忍び入ってくる隙間がある。僕の場合でいえば、それは衰えつつある老いた犬への思いだった。九三便が墜落したこのうえない悲劇の現場にありながら、僕は喪失の痛みが間近に迫っていることを思っていた。

【サブタイトル“サクラの木の下で”】

自分がマーリーのことを書きたいのはわかっていたが、書くなら黄色い老犬やリンチンンチンの生まれ変わりのごとく完璧な犬ではなく、ありのままを書きたかった。失ったペットを思いだすとなると、朝食に卵を焼いてくれない以外はなんでもござれの、主人に尽くす超自然的な気高い獣として書く人が多い。僕は正直に語りたかった。マーリーは楽しくて、並外れてむちゃくちゃで命令系統をきちんと理解したためしはまるでなかった。正直なところ世界一のバカ犬と呼んでもいいくらいだった。けれど。マーリーは出会った瞬間から「人間の最良の友」のなんたるかを直感的に知っていた。

中略:マーリーを安楽死させなければならなかったと報告したとき、僕の父がなんと言ったかも引用した。「マーリーみたいな犬にはもう絶対会えないな」。父の言葉はマーリーがはじめてもらった賛辞だったのかもしれない。マーリーのことをなんと表現すればいいのか、さんざん考えたすえに、僕はこう書いた。「マーリーは最高の犬と呼ばれたことなどない-良い犬とさえ呼ばれなかった。うるさい妖精のごとく手に負えない存在で、雄牛のように手強かった。彼は天災が道連れにするような突風を起こしつつ、騒々しくいかにもうれしげに生きた。僕が知るかぎり、服従訓練教室から放り出されたのはマーリー一匹だけだ」僕はさらに続けた。「ソファーをしゃぶり、網戸を蹴破り、よだれを垂らし、ごみバケツをあさった。脳味噌についていえば、死が訪れるその日まで自分の尻尾を追いかけ、犬の限界に挑戦した」と。それでもまだマーリーについてはいいつくせず、僕はさらに、彼の鋭い直観力や思いやり、子どもたちへのやさしさ、そして純粋な心について語った。僕が本当に言いかったのは、マーリーは僕らの魂にふれ、生きるうえで一番大切なのはなんなのかを教えてくれた、いうことだ。「たとえ我が家の犬のようないかれた犬でさえ、とにかく犬はたくさんのことを教えてくれる」と僕は書いた。「マーリーは僕らに毎日を底抜けに元気よく楽しく生きること、今、この瞬間を大切にして心のままに行動することを教えたくれた。森の中の散歩や新鮮な雪、冬の太陽を浴びながらの昼寝、そうしたささいな物事こそ貴重なのだと教えてくれた。年齢を重ねて体の痛みを抱えるようになってからは、逆境にあっても楽観的であることの大切さを教えてくれた。そして、なによりも友情と献身、とりわけ固い忠誠心を教えてくれた。

常識はずれな考えかもしれないけれど、マーリーを失ってみてはじめて、すっかり合点がいったことがある。マーリーは良き師(メンター)だったのだ。教師であり、手本だったのだ。犬が-それもマーリーのような、かなりいかれたやりたい放題の犬が-人生において本当に大切なのはなんなのかを、身をもって人間に示すなんてできるのだろうか?答えはイエスだと僕は信じている。忠誠心。勇気。献身的愛情。純粋さ。喜び。そしてまたマーリーは大切でないものも示してくれた。犬は高級車も大邸宅もブランドも必要としない。ステータスシンボルなど無用だ。びしょぬれの棒切れ一本あれば幸福なのだ。犬は肌の色や宗教や階級ではなく、中身で相手を判断する。金持ちか貧乏か、学歴があるかないか、賢いか愚かか、そんなこと気にしない。こちらがこころを開けば、向こうも心を開いてくれる。それは簡単なことにかかわらず、人間は犬よりもはるかに賢く高等な生き物でありながら、本当に大切なものとそうでないものをうまく区別できないでいる。マーリーへの惜別のコラム記事を書きながら、僕らが目を開いてちゃんと見つめさえすれば、なんの問題もなく、真実がわかるのだと、僕は悟った。時として、それがわかるには、息が臭くて素行は不良だが、心は純粋な犬の助けが必要なのだ。

書き終えたコラムを編集長に渡して、僕は車で家路についた。なにかしら心が晴れ晴れとして軽く感じられ、まるでそれまで自覚せずに背負っていた重荷から解き放たれたかのようだった。

【サブタイトル“バカ犬クラブ”から】

「ペットがわたしたちとともに過ごす一生はとても短いし、その大半は、家に帰ってくる私たちを待つことに費やされます。かれらがどれほどたくさんの愛情や笑いをもたらしてくれるか、そしてかれらのおかげでどれほど深く心を触れあえるか、それは驚くばかり」

中略:僕の受信ボックスは、さながらテレビのトーク番組『バカ犬と彼らを愛する飼い主たち』のごとく自分の犬がどれほどすばらしいからではなく、どれほどバカなのかを被害をこうむった飼い主たちが喜んでつどい、誇らしげに自慢していた。どういうわけか、ぞっとするほどひどい話の主人公は、大半がマーリーと同じく、いかれた巨体のレトリーバーだった。つまるところ、僕らは例外ではなかった、ということか。

中略:マーリーが家族のペットになるのを僕らが手助けしたように、僕らが夫婦として、子どもたちの両親として、動物を愛する者として、大人として、みずからをつくりあげるのを、マーリーは手助けしてくれた。がっかりさせられたり、期待はずれに終わったこともあったけれど、なにはともあれ、マーリーは僕らに金では買えない贈り物をくれた、しかもなんの見返りも要求せずに。マーリーは無条件の愛情を教えてくれた。無償の愛情をどうやって与え、どうやって受け取るかを。それさえ知っていれば、他の事柄はほとんどがちゃんとうまくおさまる。


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